nafuda

Travel スペイン旅行記1

序章〜マドリッド、トレド

2004年の3月に旅行好きのいとこと旅行を計画した。はじめ候補地はトルコだったのだが前年にイスタンブールのイギリス領事館の爆破テロがあり、ツアーがなくなってしまった。そこで偶然スペイン12日間のツアーを見つけ、それに行くことにした。

出発したのは2004年3月8日か9日だったと思う。スペインという国は、海外旅行する日本人が巻き込まれるトラブルの数のほとんどを占めているらしい。さすがに殺されたりはしないが、スリ、ひったくり、強盗など。現地では「日本人は常に大金を持ち歩いている」と思い込んでいる人が多いと聞いた。

そこで僕らは散策するときは手ぶら、もしくはビニール袋をぶら下げて出かけた(お金を持ってそう、と目をつけられないように、わざと貧乏そうな感じを装うため)。
トレド
最初に訪れた街は首都:マドリッドだった。 1日目はツアーで観光した。世界三大美術館のひとつであるプラド美術館、スペイン広場などを現地のガイドについてまわったが、せかされるようでしっかり見ることができなかった。午後は郊外の世界遺産に指定されている城塞都市トレドに行った。

街の周りに川が流れていて、対岸は絶壁になっていた。街の中の道もまるで迷路のようにゴチャゴチャであった。外敵が攻めにくい造りになっていたのだろう。
とにかく迷った。一回迷うと、自分が今どこにいるのかさえわからなくなるのでどうしようもなくなるのだ。道が細く建物が高いため目印になる塔などが見えないようになっている。迷子になるのは嫌いではないが、ツアーなので集合時間に遅れてしまうと置いていかれるかもしれない。結局、他の観光客っぽい人たち(日本人ではない)についていくことでこの迷路から脱出できた。スリリングなひとときだった。

マドリッド市内に戻り解散して自由行動になった。自由になってまずしなければならないのはスーパーマーケット探しだった。そこでパンやらヨーグルトやら果物やら非常食を買っておくのだ。何よりも必要なのが「」だった。ヨーロッパでは炭酸ガス入りの水のほうが主流なので、ガスなしのを探して購入した。水に限らず、ペットボトルのジュースはほぼすべて炭酸であるようだった。 大渋滞 地下鉄にも乗った。乗る前(地下への階段を下りるときが特に)怖かったのだが、乗ってみるとそう怖くもなかった(まぁ、ちゃんと対策をしていったからかもしれないが)。 晩ごはんも市内の店に入り食べた。スペインでは英語はホテル以外ではほとんど通じない(あとで詳しく書くが、Sandwich サンドウィッチも通じなかった)。がんばってガイドブックに書いてあったとうりに言うと通じた。異国の国の言葉で通じるとうれしいものだ。食べている真っ最中にジプシーと呼ばれる物乞い5,6人に囲まれたらしい。(僕の背中側を囲んでいたらしく見ることはできなかったが、向かいに座っていたいとこがあとから教えてくれた。)
怖すぎる。
その日は買い物をした後、帰って寝た。

2日目(3月11日)にこの旅行全体を大きく揺さぶる事件が起こった。
朝8時にホテルを出て、9時頃開門されるとガイドブックに書いてあった「王宮」に歩いて向かっていた(ホテルから歩いて20分くらい)。すると大渋滞が起こっていた。その横の歩道を歩いていると通りすがりの爺さんが近寄ってきて英語で話しかけてきた。statoin、terrorism、bomb、Atochaの4単語だけ聞き取れた。ここで僕たちは「アトーチャ駅で爆弾テロがあるかもしれないから気をつけるんだよ」って忠告してくれてるのかと思った。「あぁなんていい爺さんなんだ」とか言いながら王宮まで来ると「今日は午後3時から開きます」みたいなことが書いていた。しかたなくブラブラしてホテルに帰ろうとしていると軍隊とか機関銃で武装した警官が王宮の前に並んでいた。
ただごとじゃない、と思い始めた僕らは「大臣とか来るんちゃうん!?」とか言いながら何も知らずにホテルに戻った。ホテルに着くと部屋のドアの下に手紙が挟まっていた。添乗員の手紙だった。

「本日朝7時頃、マドリッド市内アトーチャ駅構内において爆弾テロがありました。無事なら私まで知らせてください。」

「は?」

ここで初めてテロを知った。王宮が開くのが延期し、武装した警官と軍隊がうろつき、大渋滞が起こっていた理由がようやくわかったのだった。
とりあえずその手紙の裏に僕たちが無事であることを記し、添乗員の部屋のドアの下に入れておいた。 このとき午前10時頃。
マドリッドはもう観光どころではないと考えたので長距離バスで近郊のセゴビアに行くことに。

つづく
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